2011年07月30日

久々の挨拶

いにしへの様をもちて綴るを止みて早や四歳。しかるにこれを気に入れて、度々と寄り来る人のいますは、何とも有難く勿体なきことなれば、ひさびさに光の網のとばりを開き、近々のよしなしごとなどを打ち綴らん。

吾、今七月二十四日より、テレヴィヂオンを観ることなし。吾が家の器、二進放送なるもの受付けべからず。愚息の受験時期なればこれ幸ひと工事の頼むことなし。何ぞ良きことことなどあらば、謹んであらはさんと思ふ。


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2007年07月08日

食ふべき肉に願ひたるは

もののふのかかる一所にその命を預けて、主君に忠を奉らんとすることは、これ一所懸命といひ、四民の高みに掲げし所以なり。
酷寒の地に一家を留め、一代にてなりわひを広げんとせし男ありき。世紀の半ばを働きて功成り名を遂げたるが、自らの所業にてこれを崩落せしめる図のいと醜し。

商ひは商道に拠りて歩むものならば、これ士道に一分も劣らず。客を主君に奉りて行へば、これも一所懸命の鏡とならん。利のみを追ひて、貨幣を主君と誤る者の上に天道の当ることなし。
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2007年04月19日

サッちゃん詩碑

世に無駄の悪しきものあまた数へれど、血税をつぎ込みて無用の橋、使へぬ空港を増やすなどは愚の骨頂にして、近年人をして攻めたてむる事とみに多し。

これらに比べて額は安しといへど、たれぞも作を願ふこと知れぬ、オブジェ、いしぶみの類もまた、無駄と指差されて恥ずかしげに鎮座したること、しばしばあり。

これに冠したる詩碑は左様なものにあらず。知らぬ者なき名曲のゆかりの地に、志ある人の集ひて、身銭を切りてやうやく建てしものなれば、その見栄の美しきこと、文の伝へんとする意気の熱きこと、いずれもおほやけの工事の及ぶところなし。近々に詳細を称へん。
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2006年06月13日

実芭蕉

実芭蕉とは稀代の俳人とは縁もゆかりも無きものにありて、世にいうバナナのことなり。

果物の一つとながらいささかの酸味有さず、ただひたすらに甘きは小児の好むところなれば、吾また多分にもれず、幼少の頃、市にてせがむこと多かりき。

或る日、常に増して欲せるを見て母親ののたまふに、「日に二本までにすべし。これより多く食さば死に至らん」と。なほ聞くに、母が青少のみぎり、村の若者バナナを食ひ過ぎし翌日、昇天したる事実のありとは、数へ六つに足らぬ童の耳に死の一文字の重きこと限りなし、何んぞ誓ひを守らざらんや。

吾も十五の歳になり、おのれの分別先立ちて、目上の言に疑ひこそ抱けれ何故盲信の愚を犯さんと意気込むが相応、あちこちと噛み付く日の多けれど、実芭蕉のみは二本を越えて噛むに及ばず。まかり間違ひても死ぬることなぞあらじと頭にしかと言いつけども、敢へて食ふに決して至らぬはまこと不思議なと、自ら余人に告げては笑ひの種に捨つること数度ありき。

バナナにて頓死とは真か嘘かこと知れず。真にあらば、これ薄幸の病人、忌の際に末期の希をかなへし翌日のことなりけむ。また思ふに当時にありては高値の果物、欲どほしきは危うきのもとと、やつかみの噂ついで人々垂れし教訓の耳に入りしが、戦後遠くになりにける吾が脳髄にもしみ入りたるか。

吾いま四十に届けば、バナナの数に惑ふことなし。ただ食ふに体の受け付けぬことこそ寂しけれ。
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2006年05月30日

海猿

「海猿」とは言ふまでもなく、昨今評判の作品なれど、吾が友この題名に思ひ起こすことありと一人笑ふ。何と問はば「直に英訳し給へ」と。吾声に出してみるにはたと膝を打ちたり。我が友幼少のみぎり、夏は盆の夜、祭りの出店にてささやかなる小遣ひをはたきて、これを買ひ入れき。

箱に入りたるは小さき袋二つ。一つは「栄養」一つは「卵」たれば、先づは一晩置きたる水槽が水に、「栄養」を振りいれし後、二三日を経て卵を入れるべし。あな不思議、その刹那に卵の一斉に孵化するや泳ぎ回らんとの触れ込みに、胸躍らせし少年多かりき。

かの少年好奇の心人より優れて、「栄養」を入れし後日、時折水槽を眺むるにちよろちよろと一分の虫が如きものの泳ぎ回りたるを見れば、訝りて母親に尋ぬるに、「余所より虫の入りたるは孵化に差し障らん、掬ひ捨てん」と薄網渡し受けこれを除きたり。

翌日、満を持して卵を水槽に振り入れたるも、皆目孵化の兆しなし。目を懲らすに、昨日の虫の二、三残るるをもつて「はてこれのせいなるか」と疑ふに、今一度良くこれを観てやうやく袋のからくり察したり。「さては害虫にあらず。これぞシーモンキーなる」

一分に足らぬ身の丈に、見かけは猿に遠く、せいぜいが小海老に近き微小の生物を、かくも仰々しく売り買ひせるとは今は昔の話なりけり。
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2006年05月25日

女豹と棲む

世紀の凡戦と謳はれし猪木アリ戦のはるか遠く、今や総合格闘技の盛んなること大なり。吾も先日、友と談義せしは、人類最強が男とは誰なりやと。
ヒョードル、ミルコ、諸々の名出ずるに、みな肯首せるはこれ。
「ジャガー横田の夫君」
六十憶分の一の男にあるは確かならんと。
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2006年05月24日

脳の語るは

人の知らざるところを、自らの力にて切り拓かんとする者は、余人より敬はれ追ひ従はれるが常なり。世の発見発明を求むるの止む日なし。

先達の功を学ぶのみにあらず、古きを積み重ね新しきを知らんとするに、最も気を置くべきは、自ら疑ふを忘れず問ふを怠らぬことにぞ尽きる。

けだし科学に身を捧げたる人の言説を聞くに、しばしばこの宗を忘れたるかと思しき人あり。さすがに専門の内にてはさのみ無理なる説をかかぐことなし。されど理を敷衍せんとて少しく外に踏み出ださば、途端あやうき論立てに終始する者あり。また左様な説ほど大衆のこぞりて追い求むることの甚だし。

(こちらを開けるべし)

人の何がしか行ひ何がしかの思考せし折、脳中の血流を測りてこれを解し、「脳に良きこと」書き立てたる本の大ひに売れしことなど、あな怪しむべし。人の良きと思しき行ひの折、前頭前野に血流の活発なるをもつて、ただちに良き人生がため前頭前野に血の巡るを増やさんと囃せるは、まこと早計と言ふべし。

人の生に良きことは真当なる者にては、脳中の事知らずともおほかた明らかなり。また脳中のこと多少知れども、人生の良し悪しを知るは難し。人の理、教育の妙、脳みその一片に語る業なきこと自明ならん。

脳の学を究るに意味無しとは言はじ。ただ霊長の機微、恒河の深遠に似れば、その一握にて解せることのいと少なきこそ警せれ。
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2006年05月13日

厳冬酷暑

ここ二三日は雨のそぼと降りて、五月の陽気の潜みがちなれど、過ぎし連休の間の暑きこと尋常なかざるに、下記の如き会話も耳に入りき。
父曰く。「本年の夏、一際に暑きこと覚悟すべし」
小学の息子「何故」
父答へるは「先の冬、寒きこと甚だし。自然も帳尻を合はさんとして、夏の陽気上がり地を焼かん。」
息子少々考へて曰く「されば夏の暑き後、この帳尻合はさんとして厳冬の訪れんことのありや」
父「それもまたあり」
息子すぐさまにこれに逆らへり。「それ理に合はず。厳冬の後必ず酷暑ありて、また酷暑の後必ず厳冬あらば、未来永劫酷暑厳冬の繰り返しとならん。」
父刹那に「うぬ」と黙りしも、笑みを作りて息子の聡きを讃へき。
「正しきを語ることのみが教へにあらず、あへて疑ひを抱かせてこれを押し開かせんとするも親の役割」と、後にこの父たまへり。
真に知りつつ謎掛けたるか、ひとゑに負け惜しみか定かならず。いずれなれども一理の言に違ひなし。
posted by いにしへびと at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月02日

二耳一口

人に二種あり。
聞くこと多く、言うこと少なき者。
言うこと多く、聞くこと少なき者。

或る人の妻、後者の典型なれば、夫これ諭さんとし、受け売りの喩へをもつて曰く。
「人に左右二耳あり。しかるに口は一つなり。人は二を聞きてのち、やうやく一のみ話すが自然なり。」
妻すかさず答ふ。
「耳二つ、口一つなれば、聞くの倍をもつて話すことこそ自然なれ。吾常よりこれに従ふのみ」

先人の古訓、女の舌先にかなはず。

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2006年03月11日

サイト翻訳

かやうな如き便利なる頁のいつの頃より生まれたるかは知らず。
エキサイト翻訳
機械翻訳なるものは前々からありて吾度々使ひき。英字の新聞、話題など拾ひ上げては、僅か一文ごとに移し置きつらつらと読むに、いと怪しげなる和文の打ち上げられたるに嘆息せしこともあり。

ここな頁の優れたるは、好みの頁のアドレスだに差し置けば、たちどころにてこれ丸ごと翻訳すべきことなり。また驚くにリンク先を打ち弾けばこれまた寸時に訳すものなり。

英文の出来のほどは知らず。ただ和文の構へより推しはかるに、年々自然に近き翻訳の能を付け足したるやうと考へん。
posted by いにしへびと at 18:52| Comment(2) | TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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