2014年02月20日

競ふ者に幸あれと祈らん

「五輪に尊むべきは、勝ちにあらず、参加にあり」とは、当今めっきり聞くことなし。いつの間に死文となりたるやも知らず、吾もまた久しく思ひ起こすことやなかりける。

これ調ぶるに、巷言ふ如くクーベルタン男爵の名言にあらず。聖公会のペンシルベニア大主教であるエセルバート・タルボットンの話ぞ源なる。

本朝より五輪に参じる人、皆おのおの艱難を超へ辛苦に耐へ、家の禄をつひやして、当代その道の頂きに立てり。この優をもって国の府は税の端を分け与ふるものなれば、その果たしたる所に与ふるものとはまた別なり。金、銀、胴の丸板は尊けれども、これを誠に尊ぶるは競ひし者本人なり。あるひは戦へど甲斐なく敗れ一に落胆せしは同じく本人より他にあらず。余人の一喜一憂は意味少なし。

さて、再び調ぶるに、真にクーベルタン男爵の言ありて、これは先より数倍良し。
「己を知り、己を律し、己に打ち克つ、これぞ競ふ者の務にして、一に尊きことならん」

後悔、反省に泣く者あらば、親き者は手を取りて立たさん。遠き者はただ静かに見るべきのみ。


posted by いにしへびと at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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