識者のみならず市井の吾らにても、児童が学力の落ちたる所以、様々の見解あり。
一、遠く唐土の悪弊科挙にも似たる受験の害を無くさんとして、勉学の量削るに過ぎて児童怠けたるとのこと。また、それ公の学び舎にてはことすさまじとて、富める家なれば或る者は幼きより塾に通はせ、或る者は師を招きうるものなれど、貧しき家にし生まれればかやうな恵を得ること、つひになきまま歳成るなどして、学能に差のずいずいと開かんとすることこそ大害なれとする。
これ当節最も主流の議なり。
二、子は親の鏡、童は大人の映しなれば、これ大人の弱体の表れなりとする論。ただ生きるに苦無きも、苦無きが故に遠望無き世こそ哀れとする議なり。
論これより他にも多々あるべし。おのおの一理ありておのおの一誤ありと感ずる議が大方なり。これ近々審らかにせんと思ふ。
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