思へばPM2、5の飛び散りたる報せにぞ呼応せる。
霞か雲かと明治の御代にも歌はれし通り、今が時候にては日の下とかく雲中に似たり。もろこしの地が抱へき汚れは法外なる量なれど、霞の元なる黄砂に限りては昔より飛び来るものにて深く怖れるものにあらじ。またPM2,5に至りては、これ逆に極めて小さきものなれば、ゆくゆくのことはおほいに気に置くべけれど、いま覚へたる症状に関はりは少なし。
黄砂に混じりたる様々な毒、これの何れかや吾らが身に響けるらし。
されど、飛散の報せにすなわち反応せるは、これ気分の有様もまた疑ふべし。花粉症ひどき人、テレビにて杉の接写を見し途端にくしゃみの出らむといふ。大気も気持ちも気の文字を用ふは、此れ別のものにあれど、身中にては互ひに関はりたること説くが如し。