吾と吾が妻、おのれの若きころ振り返るに、吾が子ほどのに、楽しげなる様子、学びに勉めし日々はなし。なれば吾と妻の子育て、吾が二親の育児より良きこといささか多しと。当世、物品あふれて何かと便利なれど、子育てに益すること少なし。むしろ、これに気づかずただいたづらに文明に浴さば、幼少のものからだおとろへ、こころ痩せるばかりなり。吾と吾が妻、満点にはほど遠しといへども、これ気を置きて育児に努めき。
子の生まれし折り、二親より受けし良きことは吾が子にも授けんと決め、悪しきことは伝へんと誓へるは、人の親たるものの自然の思ひなれど、悪しきあやまちをつひ継がんとしたることに気づきて悩むもまた自然のことなり。
吾もまたあやまち多かりけれど、幸いにして子に災いせしめること、思ひの上より少なかりき。
かやうなことつらつら考へるに、にはかに吾が親のありがたき思ひの募れるに驚けり。吾が親、吾が妻が親は自らに増して良き親を育てられりと申したきがその心ならむ。子育ては途中なれば未だかく申すには早やけれど、親の恩への覚へやうも様々にありとぞ感じける。
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